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家長殿から、追加のQ&Aでございます。

「一次史料にみる島津の関ヶ原シリーズ『豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか』」
追加でございます(*・`ω´・)ゞ

Q、イエズス会宣教師フランシスコ・パシオとはどのような人物ですか?

A、パシオについての説明が不足していました。パシオは、巡察使ヴァリニャーノの同僚として、インド総督(ポルトガル)から秀吉への親書をたずさえて来日しました。当時は、イエズス会の会計を担当し、のちには日本準管区長、すなわち日本におけるキリスト教徒の指導者となる人物です。 パシオは当時のキリスト教文化圏における、第一等の知識人でした。


Q、パシオの情報源としてはどのようなものが考えられますか?

A、パシオの情報源としては、たとえば大名クラスでいえば、小西行長(ただし小西行長は慶長三年九月にはまだ朝鮮にいる)、黒田如水(如水の葬儀はパシオが執り行った)、高山右近らキリシタン大名あるいは前田玄以、京極高次(慶長六年~七年に受洗)らキリスト教に好意的なものたちなどが考えられます。オルガンティーノもこのとき京都にいました。
 むしろ重要なのは、ローマ教皇も、インド総督も、「日本は10人の重要な家臣による合議制」だとは認識していないことです。 日本における「新しい国王」は、少なくとも対外的には徳川家康です。

以上でございます。
なんかパシオ師って一般的には有名じゃないけど凄い人だったのですね。
皆さま。本買ってくださーーい(。>ω<。)ノよろしくお願いいたしますヾ(o´∀`o)ノ
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