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家長殿より♪

皆様ごきげんよう♪

暑いのか寒いのか、分かんないですねぇ。風邪などひいてないですか?

さて、」「天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった」今回初めて出版社から本を出させていただき、色々とご意見ご指摘など受けております。なんかすごいことよねぇ~~。
というか、すごい貴重なご意見ご指摘で、ワクワクドキドキソワソワですキャ(/ω\*))((*/ωヽ)ァァ←私が書いたんじゃないのにw
また、今回は乃至先生が、通説に切り込んだ意見を書いてくださり、今までの関ヶ原の戦いは何だったのか、歴史とは何かを考えさせられる一冊になっているのではないかと思っています。←ちょっと真面目(〃ノωノ)
まぁ、最初に自費出版した一次史料というフレーズが、一人歩きしてる感じもありますが、二次史料も使わせてもらってますんで、その辺も読んでみてほしいところでございます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


以下、家長殿からです。

今福匡氏によるご批判に接して

①江戸時代の人間は「犬伏の別れ」を知っていたというご指摘について
 直江状の書誌的考察をされている今福先生のご指摘ですので、重く受け止めさせていただきました。
 仰るとおり、『長国寺殿御事績稿』『大鋒院御事績稿』『滋野世紀異説』『綱徳家記』『武徳安民記』『藩翰譜』『落穂集』は最低限おさえておくべきであり、実際には読まなければいけない江戸時代~明治時代初期の軍記はその十倍以上あるでしょう。
 ただし、本稿(第二部)の主目的は、関ヶ原本線の経緯を説明することにありますので、その論証に多くの紙数を割くことはできません。
 また、『落穂集』の記述は、「西軍につくことをきめた真田昌幸と決別した真田信幸は、その場をぬけだして犬伏へ逃げかえった」というものですので、おそらく江戸時代の人間の知っている「犬伏の別れ」と、われわれの知っている「犬伏の別れ」は別のものであるかと思います。

②真田信幸室の名前について
 仰るとおり、真田信幸室の名前が「大英寺記」の「御子亥殿」「小松殿」、「長国寺記」の「於子亥」「稲君」「小松姫君」である可能性は高いと思います。
 「信幸室の名前は不明で・・・」以下の一文は不要でした。

③その他、文章について
 乃至部分は読みやすく、高橋部分は読みにくいというご指摘については、これも仰るとおりです。
 今後、精進いたします。いろいろとご指摘くださいまして、有り難うございました。
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